釣針の誕生
 釣針の誕生は石器時代

そもそも釣針の誕生は紀元前一万年の昔、後期旧石器時代にまでさかのぼります。
日本では紀元前数千年に、新石器時代のもので獣骨を材料とした釣針が三陸沿岸など各地で出土しています。
また、鉄及び銅を材料とした金属製の釣針の出現は、弥生時代・神話の時代(紀元前三百年〜紀元後三百年)の頃だと推測されています。
その後、西暦1400年〜1600年に日本の各地で釣針の製造・販売が生業として行われた記録が当時の文献などを通して多く認められています。


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播州針
播州針のルーツは土佐 嘉永4年小寺彦兵衛が土佐での 修行の後、故郷で釣針鍛冶を創業
 
私達の産地(兵庫県北播磨地域)における釣針は、1851年(嘉永4年)に播州下久米村(現加東市下久米)の庄屋、小寺彦兵衛が、土佐(高知県)より技術を移入して創業したのが始まりでした。

また一方に播州比延庄村の生田新兵衛が京都で学んで移入した鮎毛鉤の流れもあります。 

当初は凶作続きで大変貧しかった農家の副業として始められましたが、先進地をしのいで当地がこのように隆盛をみたのは、当産地の優れた風土から生まれた先覚者によるイノベーションが適切に行われ、全国的にその優位を勝ち得たものと考えられます。
そして地域の経済発展に貢献する一方、特色のある地場産業としての地位を築くことが出来たのです。
 

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手打ち針
彦兵衛翁の心を受け継ぐ      伝統の技〜手打針〜

小寺彦兵衛が下久米村に持ち帰った土佐針の製造技法は、長き年月を経て現在も手造りの針(手打針)として受け継がれています。
手打針はヤスリ、ハサミ、金槌、木型などの道具を用いて鉄線を一本ずつ釣針に成型するという文字通りの手造り針です。
この製法は熟練の職人でも一日に千本程度の製造が限度だと言われています。


▲手打ち針の道具(※展示品) 

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